「礼拝とは?」
聖書箇所:創世記4:26、ほか
2019.4.14.(日)
神戸メノナイト・キリスト教会・礼拝(予定メモ)
「礼拝」とは?
宮平光庸
1.創世記の初めに記されている礼拝
「人々は主の御名によって祈ることを始めた。」(創世記4:26)
*礼拝とは、主の御名によって祈ることである。
*主の御名とは、神の固有名詞で表される神ご自身である。
*祈るとは、見えない神の顔を見上げて神に語りかけることである。
*神に語りかけるとは、神に聴くことである。
*礼拝とは、いつでも何処でも神を神とし人を人とすることである。
2.私たちの公的礼拝と私的デボーション
「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。」(使徒の働き2:42)
*公的礼拝とは、週の初日に神を信じる人々が共に集まり捧げる礼拝である。
*それは①使徒的な教え、②キリストの十字架を覚える聖餐、および③祈り、からなる。
「ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。」(ピリピ1:27)
*私的デボーションとは、日々の家庭礼拝のことである。
*週日には、生活のために働き、福音にふさわしく生活することである。
3.ヨハネの黙示録に記されている礼拝
「私は天に大群衆の大きい声のようなものが、こう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救い、栄光、力は、われらの神のもの。」・・・「ハレルヤ。万物の支配者である、われらの神である主は王となられた。」(ヨハネの黙示録19:1・・・6)
*礼拝とは、罪人の救いを完成された神の力と栄光を讃えることであり、万物の支配者であられる王なる神に栄光をきすことである。
以上