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「旧約聖書・創世記が証しするキリスト」

2016.6.12.(日) 神戸Mキリスト教会・礼拝奨励(予定メモ) 「旧約聖書・創世記が証しするキリスト」 宮平光庸 ---------------------------------------------------------------- (1)旧約の第一のアダムと新約の第二のアダム 新約聖書の福音書(マタイ1:1~16、ルカ3:23~38)に記されている系図は旧約聖書のあらすじに相当するが、それは神の子アダムと神の子イエス・キリストとの関係を示している。「ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。すなわち、ちょうどひとりの人の不従順によって多くの人(が罪人とされたのと同様に、ひとりの従順によって多くの人が義人とされるのです。」(ローマ5:18~19)これこそ福音の内容である。

(2)「原始福音」(創世記3:15) ルターの『聖書への序言』に待つまでもなく「神は・・・福音と契約とを、すでに旧約聖書のうちに・・・約束された」(創世記3:15)のである。

(3)キリストを証しするイサク 聖書の神は「アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神」であるが、父アブラハムが独り子イサクを全焼の生け贄として惜しまずに捧げたこと(創世記22:1~18)から、イサクはキリストの型であると言えよう。

(4)キリストを証しするメルキゼデク 諸国民の祝福の元となったアブラハムを祝福した「いと高き神の祭司」であるメルキゼデクは「シャレム(平和)の王」であった(創世記14:17~20)。また、「父もなく、母もなく、系図もなく、その生涯の初めもなく、いのちの終わりもなく、神の子に似た者とされ、いつまでも祭司としてとどまっている」(ヘブル6:3)「メルキ(王)ゼデク(義)」は「義の王」(6:2)である。イエス・キリストは私たちの救い主のみでなく王であられる。

(5)キリストを証しするヨセフ 創世記に記されているヨセフ物語に涙しない者があろうか?そのヨセフはキリストを証ししていると言えよう。人の悪をも善に、呪いも祝福に変えられる神の恵みの力を現わして余りある。人の罪がいや増すところに、恵みもいや増す。だからこそ、私たちはどうしようもない罪人であるにも拘らず、恵みによって安んずることができる。それこそ福音の力に他ならない。 以上


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