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「出エジプト記が証しするキリスト」

2016.8.21.(日)

神戸Mキリスト教会(礼拝・奨励)

「出エジプト記が証しするキリスト」(予定メモ)

M.M.

1.出エジプトという歴史的な出来事

出エジプト記において、イスラエルの民がエジプトの国、奴隷の家から連れ出された(20:2)歴史的な出来事は、罪の悲惨から救い出されるキリストによる喜ばしい福音を予表している。

2.神の固有名詞

モーセの質問に対して、神は御自身を自己紹介された(3:14)。この主なる神の名である「わたしはある」という言葉(ヘブライ語אהיה אשר אהיה )は、ヨハネの福音書(8:24)で主イエスがと語られた「わたしはいる」という言葉(ギリシャ語 εγω ειμι)に呼応するものである。

3.福音とは何か?

神がモーセに「わたしはあなたと共にいるאהיה עמך」(出エジプト3:12)と語られたように、福音とは「神が人とともにおられる」ことである。キリストは、マタイの福音書(1:23)に記されているように「インマヌエル」(=わたしたちとともにおられる神εμμανουηλ)であり、このアブラハムよりも先在された神が受肉してこの世界に来られたことこそ福音に他ならない。

4.子羊の血

神と人との契約において人が違反した罪を贖うために血が流されなければならない。イスラエルの民の家の鴨居に塗られた子羊の血によって神の怒りは過ぎ越された(出エジプト12:23)。それこそキリストが十字架上ですべての人の罪を贖うために流された血を予型するものである。契約とは命をかけて守らなければならないものである。神の子羊の血とは、神と人の契約において、人が命をかけて守らなければならなかったにも拘らず、破った責任を神が人に代わって自らの身体を引き裂かれることにより流された血であり、その血には人の罪を贖う命と力がある。

5.十戒の意義

律法の要約は十戒であり、十戒の要約は「神と隣人への愛」である。ヘブライ語の時制には完了形と未完了形があり、命令形や未来形は未完了形の中に含まれる。例えば、「隣人を愛せよ」は命令形であり、「隣人を愛するようになる」は未来形であるが、もし私たちが命令形として受け取れば律法的な解釈になり、未来形として受け取れば福音的な解釈になる。ちなみに、バルトの理解は未来形である。


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