「エズラ記が証しするキリスト」
2017.9.10.(日)
神戸メノナイト・キリスト教会・奨励(予定メモ)
「エズラ記が証しするキリスト」
―エズラ記1章3節、ほか―
宮平光庸
1.エズラ記
エズラ記は預言者エレミヤによって預言された通りに70年にも及ぶバビロン捕囚期以後の古代イスラエル共同体に関する唯一の聖書的情報である。
2.神の民と共に居られる神
「あなたがた、すべて主の民に属する者はだれでも、その神がその者とともにおられるように。」(エズラ1:3a)
神が「主の民」と共に居られること、これこそ新・旧約聖書を一貫して流れている福音である。
「わたしたち(神の民)と共に居られる神」(=インマヌエル)が旧約聖書に預言され、その預言の成就として、新約聖書に明確に啓示された救い主こそイエス・キリストに他ならない(マタイによる福音書1:23)。
3.エズラ記の主題と鍵語
「その者はユダにあるエルサレムに上り、イスラエルの神、主の宮を建てるようにせよ。この方はエルサレムにおられる神である。」(エズラ1:3b)とあるように、エズラ書の主題は「エルサレムへの帰還」であり、鍵語は「神殿建設」である。
(付記)
神殿建設とは、そこに神が臨在され、そこで神を礼拝する会堂建築の事である。歴史とは神の預言の言葉が成就される場であり、逆に歴史の中に神の摂理的御旨を読み取る事ができる。
歴史的事実として、第一神殿も第二神殿も破壊されたことを覚えれば、主の民が偶像礼拝に陥らないように銘記する必要があると思われる。
もし新約聖書の光に照らされて、二三人でも主の名により集まる所に主が臨在されるとすれば、会堂建築の実質的内容は主の民を立てあげる教会建設ではないだろうか?
以上