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「伝道者の書が証しするキリスト」

2018.5.13.(日) 神戸メノナイト・キリスト教会・礼拝(予定メモ) 「伝道者の書が証しするキリスト」 (伝道者の書12:1、ヨハネ1:1~3) 宮平光庸 1.無と有と空 伝道者の書における「空」の世界は、しばしば仏教的な「無」の世界と対比されることがある。しかし、聖書の世界では「無」(=Nothingness)とは、創造者が「無」から「有」を創造された(ローマ書4:17)「無」である。人間の罪への堕落の結果、「有」の世界が「空虚」(=Vanity)に服する世界へと陥った状況を表すのが「空(虚無)」(ローマ8:20)である。それは被造物として存在論的には存在しながらも、創造者と被造物との関係において始めて意味を持つ本来的な存在の意味が失われた状態に他ならない。 2.旧約と新約の関係 ここで、旧約時代と新約時代の信仰者の救いについて考慮する必要がある。救い主の来臨以前の人々は救われなかったのであろうか?罪によって死に直面したイスラエルの民はモーセが掲げた青銅の蛇を仰ぐことを通して生きた(民数記21:9)。モーセ以前のアブラハムも信仰によって義と認められたのである(創世記15:6)。 新約時代の私たちは十字架を仰ぐことができ、それによって青銅の蛇を仰いだイスラエルの民と同様に生きる。しかし、十字架を仰いだ私たちは完全に贖われているのだろうか?パウロによれば、私たちは被造物が服している「虚無」の中で、呻きながら私たちのからだの贖われることを待ち望んでおり、希望により救われているのである(ローマ8:19~24)。 あたかも、旧約時代の人々がキリストの来臨を待望しながら信仰によって救われたように、新約時代の私たちもキリストの再臨を待ち望みながら、信仰によって救われているのである。 3.創造者である神・キリスト 「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1) 「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。」(ヨハネ1:1~3) 以上


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